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オバマ大統領の広島訪問 [日々のこと]

5月27日(金)
少し時間が経ちましたが何となく書き留めておきたくて久しぶりにブログを書いています。

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オバマ大統領が広島訪問をされると発表があってから、広島市民としては心がザワザワと波打つようなそんな日々を過ごしていました。
地元新聞でも特集を組んでいたので毎日興味深く読んでいました。
数日前から広島市内、特に平和公園周辺は厳戒態勢の警備で他県からの警察官の方の姿を多く見かけました。
当日を迎えて、お店に向かう途中に広島城辺りも道路を封鎖する準備が始まりつつありました。
私はオバマ大統領が来られる時間にはお店にいましたが生中継がパソコンで見れたので中継が始まると同時にパソコン前に釘付けに。

大統領専用車が平和公園に入って来て、オバマ大統領が降り立ち広島平和資料館に入られた映像は実に不思議な光景で「本当にアメリカ大統領が平和資料館に入っちゃった・・・。」と子供のような思考になっていました。同時に涙が何故だかジワジワと込み上げました。
※この感情って他県の人には不思議なのでしょうか?

今回のオバマ大統領の広島訪問が決定した時に一番感動したのは、広島県被団協・坪井直理事長の下記のコメントでした。
過去でなく未来を見据えておられる坪井理事長の姿でした。
新聞記事で大統領と被爆者の対面あり、坪井理事長も出席されるとのとの記事を見た私はとても嬉しい気持ちになりました。

「よくぞ、ありがとうございました。と同時に、これから一緒に頑張りましょうと。これを契機にして、一歩でも二歩でも世界が明るくなるように」
「もしオバマ大統領とことばを交わす時間があれば、まず、広島に来たことの感謝を伝えたい。謝罪のことばを求めるつもりはなく、『原爆投下は人類の不幸な出来事だった。これからは人類の幸せを一緒に考えましょう。私は核兵器がゼロになるまで諦めません』と伝えたい」

広島生まれで広島育ちの私は学校で平和学習もありますし、8月6日の日にはテレビも一斉に平和記念式典を生放送。原爆投下の8時15分には黙祷をするということを毎年しています。
坪井直理事長もずっと昔からテレビ等で見続けていた方でした。


日経新聞には広島県被団協・坪井直理事長の下記のようなコメントも。

「生きているうちに来ることはないと思っていた。謝罪はいらない。人類の幸せのために何がいいか、広島で示してほしい。憎しみを超え、理性の力で一緒に手をつないでいきたい」。

広島工業専門学校(現・広島大工学部)の学生だった坪井さんは朝の通学途中に爆風に吹き飛ばされ重傷を負った。意識が戻ったのは9月の終わり。
「アメリカに対する憎しみを乗り越えることはただ事じゃなかった」。
被爆者というだけで結婚や就職で差別を受けた。中学校の教員を定年退職後、県被団協の一員として欧米や中国、北朝鮮などを訪問し、被爆体験の証言活動を始めた。

初めて米国に足を踏み入れたのは1995年。
「最初は何言うてもダメだった」。現地の米国人からは原爆投下を正当化する意見を浴び、逆に「真珠湾攻撃はどう思うのか」と問われもした。

「日本を強調してはならん。格を上げて人類の話にせんと」。
戦争のむごさや核の恐ろしさを根気強く訴えると相手の反応が変わった。
「広島で『ダメダメ』と言うだけじゃだめ。何年もかけていろんな所に行って、ようやく気付かされた」

オバマ氏に望むのは、原爆慰霊碑への献花と演説で核兵器の非人道性に触れることだ。
「あそこには『過ちは繰り返しませぬ』という言葉がぴしゃりと書いてある。 そこでプラハのような演説をしてくれたら『オバマさん、よう来てくれた』と、もう感謝の気持ちでいっぱいじゃ」。歴史的瞬間を待ち望んでいる。

想像ですがきっと長い年月の間には理解されない報われないことも多々おありになったと思いますが今のような目先の事でなく、広く大きな視野での見解はきっと沢山のご苦労が積み重なっての言葉だと感じました。

オバマ大統領の平和公園での演説の後にすぐに被爆者の席に向かわれ、坪井理事長の元に歩み寄られた瞬間は一番泣いたかもしれません。
笑顔で対面する場面もあり、又もや涙が出ました。
このお二人の笑顔の瞬間を私は一生忘れないと思います。
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お二人の笑顔をにこやかに見られている長崎市長の表情もとても素敵でした。

オバマ大統領が原爆ドームを見られていた後に被爆者の被団協の坪井理事長と歴史研究家の森重昭さんがお二人で大笑いされていた姿がテレビに映り、色んな塊がこの一瞬で溶けたような気持ちにさえなりました。

ニュース等でオバマ大統領と会った感想を坪井理事長は「良すぎたかな?」と笑顔で答えられていました。

「あの事件は既に歴史の一コマであり不幸な一コマであった。アメリカではなく、人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう。プラハ演説でノーベル平和賞を取ったのだから、遊んどったらダメですよ。未来志向で、核兵器のない世界を作り上げましょう。」

「人類の幸せを掴むためにいろいろなことを語ってくれて、私は胸がワクワクしました。91歳ですけどまだ生きますよ」と大統領に話しかけられたそうです。

「これからが大事だ。『時々広島に来て』と言ったら、握手が強くなった。」

「私の一生は波乱万丈。なんで90まで生きたのかもわかりませんよ。今を大事にしてね。 二度と、皆さん方が被爆者になるようなことがあってはならんと思って出かけてお話しているんです。」

被爆者の森重昭さんは、
「うん、かなり」「夢のようでした。本当のことを言うけど、今まで苦労に苦労重ねた。大変な思いをしたけど、最高のおもてなしを今日はアメリカ側がしてくれた。」


色々な意見はあるとは思いますが個人的には今回の広島訪問はとても良かったと感じでいます。
戦後71年一度も現職のアメリカ大統領が訪れなかった現実もすごいけど、個人的には71年も経って戦争のひとつの区切りがついたような気にさえなりました。

迎える被爆者の方々の意見をテレビ等で聞いていると「恨みあう戦争は済んだ。平和を作りだす事が大切だ。謝罪は求めない。」と言うような声が多かったように感じました。
もちろんそうでない方もいらっしゃるとも思います。

読んだ新聞の中に「憎しみの言葉を掛けない事が広島の尊厳だと。」
オバマ大統領に謝罪を求めても何の解決にはならないし、心が固くなるばかり。
これを読んで、ここで広島が大きな手を広げて勇気ある広島訪問を決められた大統領を包み込む優しさがあってこと理解に繋がるようにも感じたりもしました。

オバマ大統領が原爆資料館で出迎えた小学生二人に自分で折った折り鶴を渡され、芳名録に記帳した際に二羽の自分で折った折り鶴を添えられたそうです。
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広島の滞在時間は一時間位と短かったけどポイントをきちんと押さえていて、個人的には気持ちの満足度が高かった私でした。

うまく表現出来ないけど・・・この何とも言えない感情の高まりと気持ちの揺さぶられ感を多くの広島の人たちが感じたのではないかと思います。
私もその一人です。
素直にとてもとても感動した素晴らしい一日でした。

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