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生ききったひと [日々のこと]

4月19日(金)
お店を始める前に勤めていた会社の専務の訃報が突然届き、お通夜に行ってきました。
最初は何かの間違いだとさえ思いました。
確認していくうちに事実だと分かり、私はお店で泣いてしまいました。
前日も普通に仕事をされて退社されたようです。

私は会社を辞めて10年以上経ちましたが退職した同僚とも今も働いている同僚たちとも何かしら今も繋がっていて時折会ったり話をしたりしています。
そんなこともあり、前の会社のことは何となく絶えず聞こえてきてはいました。

前職の会社は、広島ではきっと珍しい雑貨メーカーでした。
父親が亡くなった後に母と二人、きっちりとかっちり働くために定年まで働けるような家から近い場所を職安で探していた私でしたがある日のこと家近辺のファイルには該当職種がなく、せっかく来たしと言うことでお隣の区域のファイルをめくって見つけた会社でした。

当時、もう地味に生きて行こうと思っていた私には(笑)、広島でそれも自分が好きな雑貨に携われる仕事でデスクワークと言う願ってもない内容。
速攻で申し込みして面接に行きました。
諸々ありましたが最終的に再就職先になりました。

入社当時部署は庶務でしたが少人数の会社だったので色々な職務を兼任していました。
お昼のお弁当の注文も取るけど社内報も作るし、印刷物全般の担当・製作含むだったり、直営店とのやり取りや商品カタログや展示会の案内状や資料作り、会社のパソコンのシステム窓口、ホームページとネットショップ立ち上げや更新担当、通販や広告窓口など様々な何でも屋担当でした。
在職中の後半は直営店が増えたこともあり、庶務から離れて販売推進の販売促進部へと移動となりましたが一人だったので庶務以外の印刷物や商品カタログなどの他の担当はそのまま持って移動でし仕事量は更に増えたような???

当時はもう年がら年中マックスに忙しく、その日中に会社を出ると言うシンデレラ的な変な決め事を作って日々過ごしていたように思います。気力体力が摩耗して一度入院もしました。
この生活があと何年続けられるのかと絶えず考えていたように思いますが好きな雑貨の仕事であり、やりたかった仕事も多々やらせてもらっていたので中々退職するという結論にたどり着くまでに長い時間が必要でした。

前置きがとても長くなりましたが亡くなられた専務は女性です。
入社して分かったのですが私が学生時代に流行っていたお弁当などを入れる巾着袋。
「スタジオにんじん」と言うニンジンのイラストがタグに付いていたのを使われていた方がおられるでしょうか?祇園にショップがあってJR通学の同級生に買ってきてもらっていました。
「スタジオにんじん」が今の株式会社になる前に専務が立ち上げられていたことが入社後に分かり現在に至るということにビックリやら懐かしいやらで当時同級生たちにその事を連絡したものでした。

専務はとにかくエネルギーの塊のような人でした。
細くていらっしゃるのに熱量と圧が半端なくていつも全力投球な人と言う印象です。
在職中には専務と意見を戦わせる事もあったりしました。

段々と体力気力もすり減ってきてあんなに好きだった雑貨がもう楽しくなくなり、雑貨を見ても仕事に結びついてしまいシンドイ時期があったように思います。
最終的に退職することとなりましたが在職中は色々と会社にも不満や思うことがありましたが雑貨店を自分で始めることになり、右も左も分からずなスタートに思えましたがふと考えると何でも屋担当だった私は知らず知らずのうちに浅くとも様々な引出しを持った人にして頂いていたのかもしれません。

これは起業した人にしか分からないかもしれない内側の事かもしれませんが日々様々な決定事項や選択が求められる状況になります。
そんな色んなボールが飛んで来る日々に恐れることなく、合ってないかもしれませんが対処が出来て、立ち向かえる自分にして頂いたのはこの会社に育てて頂いたからだと辞めて初めて気づかされたことでした。
人にお給料を出すことの大変さを全く理解できていなかったなぁと私は猛反省をしたように記憶しています。
なのでどんなに忙しいと思ったとしても私はあの会社員時代と比較するとまだ余力を残しているといつも思っています。
あれ以上に忙しい事はもうないです(笑)。
そう言った意味でも鍛えられた事に感謝します。

今も時折会う元同僚たちとも何故か必ず元居た会社の話に花が咲き、同じ話を毎回のようにしては涙が出るほど笑うのです。
「この話何回話すん?」と言いつつも今となっては笑い話となり、楽しい再会のネタとなっています。
そして「結局私ら文句ばっかり言ってたけど、あの会社が好きなんじゃないん?」とも笑いながら話しています。
とても個性的な人が多かったせいもありますし、仕事が全員ギリギリの状況で忙しくしていたものですから同志のようなそんな気持ち的にも結束力が強かったようにも思います。
沢山の思い出が本当にあります。

入社間もなく社員旅行があり、その時の懐かしい写真がありました。
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社員旅行もスゴク楽しかったのを思い出します。いわゆる宴会の為の社員旅行ではなく、内容が毎回魅力満載なんです。
こんなに当時は社員数は少なかったけれど今はこの何倍の社員数になられたのでしょうか?
数人でされていた小さな雑貨店をここまで大きく会社としても成長させられた事は本当にすごいことだと改めて思っています。
毎朝朝礼をこの少人数で円を作り、伝達事項などして最後に朝礼当番の今日のひとことも懐かしい。
お昼ご飯も休憩ルームで皆でご飯を食べ、3時には集まってお茶したりしていましたね。

亡くなられた専務は私の事を生意気な社員だと思われていたかもしれませんが今となっては聞くこともなりません。
ただ、袋町のお店には社長と専務とで来て下さったこともありました。
結局、雑貨の道を続けている私をどう思われたのでしょうか?

ただプライベートでも会社の経営者としても幾つもの荒波をくぐって来られたことと思います。
お通夜での専務のご主人であり社長の挨拶に「太く生きた人生でした。」と言われた通り、まだまだ年齢は66歳とお若かったけれど人の何倍も濃くて太い人生を生ききり、何事にも全力投球で妥協は許さず全速力で人生を走り抜いた女性だと私も思いました。
もっと年齢を重ねられたとしても生涯現役であったことは間違いないと思います。

直接、言葉にして感謝をお伝えすることが出来ておらず後悔ばかりですが本当にお世話になりました。ありがとうございました。



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